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いいこと銀行

さてこれは、何の花でしょう? 
答えは文末で…
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↓ココから本文です

「借金が減ったら嬉しいやろう。なら、素直に喜んだらええやないか」
母の言葉を、久しぶりに思い出しました。

悪い事がおこった時にはまず、「良かった」と言う母でした。
私が階段から落ちた時も、川にハマった時にも、
「ああ良かった。この程度で済んで助かった。嬉しいなあ、ありがたいなあ」
と、言っていました。
こんなふうに、良い言葉を口にすると、悪い神様を追いはらい、良い神様を呼ぶことができるのだそうです。
しかしとまとは、母の言うようにはできませんでした。
とくに、思春期の頃は。
ちょっと、イヤな事があると、
「最低~、最悪~、もうアカン~」
と、グチるばかりで、いつまでもヘコミっぱなし。
そんなとまとを見かねて、母が語ってくれました。

「なあとまと、もしも貯金が減ったら、どんな気持ちになる」
「どんなって……」
「嬉しい、とは思わんよな」
「うん」
「ガッカリしたり、不安な気持ちにならへんか」
「なる」
「じゃあ反対に、借金が減ったら、どない思う」
「それは、嬉しいと思うわ」
「そうやな。自分でコツコツ返したにしろ、相手が棒引きしてくれたにしろ、借金が減ったら嬉しいよな。『良かった、バンザーイ』って、言いたくなるやろう」
「うん。なるなる」
「じゃあとまと、ちょっと想像してみ。この世の中のどこかに、『善いこと銀行』ゆうのがあるねん」
「『善いこと銀行』?」
「そうや。お金のかわりに、人がした善い事を、預かっといてくれる銀行や。そしてな、ある程度まで貯まったら、その人に嬉しいことがおこるねん」
「それ、ええな。そんな銀行があるんやったら、いっぱい善い事しようって気になるわ」
「そうやろう、そうやろう。でも、その隣にはな、『悪い事銀行』ゆうのがあるねん」
「その銀行は、いらんわ」
「まあ、そう言うな(笑)。この二つはセットやから、片方だけ無くすわけにはいかんのや。想像どおりこっちは、人がした悪い事を貯めとく銀行や。言うたら、借金みたいなもんや。そして、これもある程度貯まったら払い出し、つまり、お前の身に悪い事が起こるねん」
「やっぱり。そんな銀行、なくてもええで」
「お前が悪い事せんかったら、ええだけの話しやないか」
「そらまあ、そうや、けど……」
「ところで、お前は嬉しい事がおこったら喜んで、悪い事がおこったら『アカン~、最悪や~』ってグチるよな」
「う、うん」
「でも、よう考えてみ。嬉しい事がおこるってことは、『善いこと』の貯金が減る言うことやで」
「へっ?」
「貯金が減って、お前嬉しいか?」
「ううん。嬉しない」
「そうやろ。貯金が減ったら、不安になるよな」
「うん」
「そんな時、お前『バンザーイ』って言うんか?」
「……」
「その反対に、悪い事が起こるのは、借金が減る言うことやで」
「あ、そうか」
「借金が減ったら、嬉しいやろう?」
「うん」
「ほんなら、素直に喜んだらええないか」
とまとは、目からウロコが落ちたような気持ちになりました。


嬉しい事がおこった時は、『善いこと銀行』の貯金が減った時。
だから、嬉しい事は独り占めせず、いろんな人と喜びを分かち合うようにする。
そうすれば、人を喜ばせた分、また『善いこと銀行』の貯金ができるから。
悪い事がおこった時は、人生の借金を返している時。
「ああ良かった」
と、素直に喜んで、悪い神様を追いはらう。

ヘコンだおかげで、久しぶりに、母の言葉を思い出した、とまとでしたm(__)m


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武庫川のコスモス畑、今、見ごろだよ~♪

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トップの写真は、らっきょうの花です。
育ててみて、初めて見ることができました(^O^)
って、花が咲いたら失敗か?(@_@;)
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嬉しい贈り物

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とまとが中学生の頃のことです。
ある日、
「お金持ちになりたいなぁ」
と呟くと、母が聞きました。
「お金持ちになって、どうしたいんや?」
「そうやなあ」
とまとはちょっと考えて、
「いつでも好きな時に、一万円のステーキが食べれるようになりたいなあ」
と、答えました。
その数日前、テレビ番組で、ステーキ店を紹介しているのを見て、母が、
「一万円も出したら、美味しいに決まってるやないか」
と言ったのを、思い出したからです。
美味しいに決まってるステーキを、いつでも食べられるようになりたい。
とまとにとってのお金持ちは、そうゆうイメージでした。
「そうか。じゃあ、一万円のステーキが食べられるようになったら、お前はそれで満足か?」
「えっ、どうやろう」
「一万円のステーキが食べられるようになったら、十万円のバックが欲しいって思うんとちゃうか?」
確かに、高級なステーキ店に行くのなら、いい格好をして行きたいと思うようになるかもしれません。
とまとが頷くと、母は更に言いました。
「十万円のバックを手に入れたら、今度は、百万円の宝石が欲しいと思うようになるかも、しれへんなあ」
「うん」
「百万円の宝石を身につけるようになったら、一千万円の車に乗りたいと思うようになるかもしれん」
「うんうん」
「一千万円の車に乗れるようになったら、一億円の家に住みたいと思うようになるんとちゃうか? 一億円の家に住んだら、今度は十億円のビルが欲しくなるかもしれん。十億円のビルを手に入れたら、世界中に別荘が欲しくなるかもな。別荘が出来たら、今度はそこへ行くのに、自家用の飛行機が欲しくなるかもしれん。飛行機を手に入れたら、次は何やろう? 宇宙に行くための、ロケットが欲しいと思うようになるんやろか?」
とまとは母の話しを、うんうんと頷きながら聞きました。
すると母が、呆れた顔で言いました。
「なあとまと、お前そんな気持ちでおったら、いくらお金持ちになっても、欲しいと思うものが増えるだけで、幸せにはなられへんで」
「えっなんで? 欲しいものが手に入ったら、幸せなんとちゃうの?」
とまとは聞きました。
「そうやろか? 何かを欲しいと思うのは、それが無いと満足できひん、言うことやろう。満足できひんってことは、不満がある、言うことやんか。不満があるのを、幸せって言うか?」
「あ、そうか……」
「お金持ちになることと、幸せになることとは、別なんやで」
「ほんなら、どうやったら幸せになれるん?」
とまとは、聞きました。
「何かを欲しいと思うかわりに、何かをあげたいと思えるようになったらええねん。人は、あげればあげる程、幸せな気持ちになれるんやで」
「はあ?」
とまとには、母の言うことが、よく理解できませんでした。
「でも、母ちゃん。人に何かをあげる為には、あげる物を持ってないとあかんやん。ほんならやっぱり、お金持ちでないと幸せになられへんのとちゃう?」
母は笑って聞きました。
「とまと、お前が、人様から貰って嬉しいと思うものは、お金で買えるものだけか? 」
「えっ?」
「お前は人様から、親切にして貰ったり、笑いかけらた時に、嬉しいと思った事はないんか?」
「ううん、ある」
「そうやろう。そして、嬉しかったら、『ありがとう』って言いたくなるやろう」
「うん、なる」
「『ありがとう』って言われると、幸せな気持ちにならへんか?」
「なる」
「いっぱい言われたら、いっぱい幸せな気持ちになるよな」
「うん」
「じゃあ人様に、いっぱいいろんなものをあげたらええ。
例えば、大きな声で挨拶したら、相手に元気をあげることができる。
困ってる人に、『何かお手伝いできることありますか』って声をかけたら、優しい気持ちをあげることができる。
友達に笑いかけることで、『好きやで』とか『一緒におると楽しいよ』ってゆう、温かい気持ちをあげることができる。
元気のええ挨拶も、親切な言葉も、優しい笑顔も、みんな無料や。お金持ちでなくても、人様にあげられるものやんか」
「うん」
「そして、相手が嬉しい気持ちになったら、『ありがとう』を言うてくれる。そうしたら、お前は幸せな気持ちになれるやろう?」
「ホンマや!」
「例え世界一のお金持ちになっても、何かを欲しいと思うてるうちは、満足してないねんから、幸せな気持ちにはなられへんねん。でも、人様から『ありがとう』って言われるのがどんな嬉しい事かがわかったら、幸せな気持ちになるのは、難しいことやない。人は、あげればあげる程、幸せな気持ちになるんやで。不思議やなあ」


『お前が、人様から貰って嬉しいと思うものは、お金で買える物だけか?』
中学生の頃のとまとは、やっぱりまだ心のどこかで、『あげるよりも貰う方が嬉しい』と思っていましたが、今なら胸を張って、「違う」と言い切れます。
らもちゃんの笑顔に勝るものは、ありません。
『あげればあげる程、幸せな気持ちになる』
その真意も、親になって実感しました。
母乳でも、食べ物でも、おもちゃでも、らもちゃんが受け取ってくれるだけで嬉しい!
ありがとうの言葉も欲しいとは思いません。
この言葉をとまとにくれた時、母も、幸せな気持ちやったんかなぁ。
らもちゃんを見つめながら、母の気持ちを想像するようになった、とまとです。

2月は、母の生まれた月です。
鬼籍に入って久しいので、もう、一緒に食事行くことも、温泉に連れて行ってあげることもできませんが、今年は線香と一緒に、らもちゃんの笑顔を手向けます。
母ちゃん。
産んでくれて、ありがとう(^O^)
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↓すっかりおイモがお気に入りになったらもちゃん。
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おイモは食べ物です。
それは間違いない!
でも…

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コームは食べ物ではないと思います。
多分、恐らく、いや、もしかしたら食べ物なのか?
自信なくなってきた((((@_@;)


今年の寒さは、強烈でしたね(^^;
寒い地域にお住まいの皆さま、被害はございませんでしたか?
お見舞い申し上げます。
m(__)m

未来予想図

とまとが小学生の頃。
母と歩いていた時、道端に花を見つけて、
「キレイやなぁ」
と言ったら、母がほめてくれました。
「おんなじ花を見ても、キレイやと思う人と、そう思わん人がおる。
おんなじ人が見ても、キレイやと感じる時と、何も感じひん時がある。
だからな…」
そうして母は、一つの禅語を教えてくれました。

らもちゃんが生まれる前日。
とまと達はホームセンターへ行き、一本の植木を買ってきました。
1シーズンで姿を消す草花(野菜)ばかりでなく、これから先何年も、らもちゃんと一緒に成長する植物を育てたいと思ったからです。
選んだのは、ハナミズキ。
毎年、らもちゃんの誕生日の頃に、花を咲かせる木だからです。


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これは、鉢に植え替えた直後の画像。
この写真を撮った24時間後に、らもちゃんは産声を上げました。

そのハナミズキの木が、今、落葉の季節を迎えています。
日ごとに葉が散り、寂しくなって行く木。
でも、その枝の先には、もう花芽がついています。

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この小さな芽が、これから寒い冬を乗り越えて、初夏に可憐な花を咲かせるのかと思うと、可愛くて、思わずキスしたくなってしまいます。

来年の五月に花を咲かせても、らもちゃんはまだ一歳ですから、花がキレイかどうかなんて、理解できないかもしれません。
もう少し大きくなっても、男の子だから、花になんて興味を持たないかもしれません。
でもいつか、らもちゃんがこの花を見て
「キレイやなぁ」
と言ったら。
とまとは、母から教わった禅語を、らもちゃんに話してやりたいと思います。

「おんなじ花を見ても、キレイやと思う人と、そう思わん人がおる。
おんなじ人が見ても、キレイやと感じる時と、何も感じひん時がある。
だからな…
キレイな花があるんじゃ、ないんやで。
花を見て、キレイやと思える、お前の心があるんやで」

早くらもちゃんと、こんな会話が出来るように、なりたいな♪(^O^)


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↑ お腹から出て、6ヶ月経ったらもちゃん。と、散らかった部屋(笑)

母の日に・・・

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昔、母に聞いたことがありました。
なぜ、父と結婚したのか?
なぜ、父の子を産もうと思ったのか?
なぜ、父が家を出た後も、離婚の手続きをしなかったのか?
そして。
なぜ、とまと達を迎えに来たのか…

父がいなくなった後、育児を放棄し、自分が生きることも放棄して、体を壊し、入院したのをきっかけに、とまとと姉を手放した母。
別々に親戚の家に預けられ、何軒かを転々とした(たらい回しにされた)後、児童福祉施設に連れて行かれました。
そこで、姉とは再会できたものの、知らない人のお家へお泊りに行ったりした記憶がある事を考えると、あの時母は、もう、とまと達を引き取るつもりはなかったのでしょう。
実母が引き取るつもりがあれば、養子の話しが進められる事は、ないはずですから。
だけど、とまとが小学校に上がる直前、母は迎えに来てくれました。

上の問いをしたのは、中学生の頃だったと思います。
母の返事は、
「一人やったら、幸せになれんからや」
でした。

「一人の方が、気楽な時もある。
だから、一人になりたいと、思う時もある。
でも、やっぱり一人では、幸せにはなられへん。

幸せはな、「仕合せ」。
お互いに「仕え合う」ことなんやって、気づいたんや。

「仕える」言うのは、「仕事」の「仕」と同じ字やけど、仕事のように、お金を貰うのが目的で、言われた事をするのとは違う。
見返りを求めんと、相手に奉仕すること。
相手に、喜んで貰おうと思って、何かをすることや。

でも、自分がするばっかりなんは、しんどい。
相手に、して貰うばっかりでも、気が重い。
お互いに、相手を喜ばせようと「仕合う」こと。
それが、「仕合せ」なんや。

それは、一人ではできんやろう?
自分のことを、喜ばせようと思ってくれる相手がおって、自分も、喜ばせたいと思う相手がおって、はじめて成り立つことなんや。

だから…結婚した。
子供も産んだ。
一人では育てきられへんと思うた時期もあったけど、一人で生きてみて、一人の方が辛い、ゆうのが判った。
それやったら、他の誰かと、新しく「仕合せ」な関係を築くよりも、自分がお腹を痛めて産んだ子と「仕合せ」になりたい。
そう思ったんや。
だから、迎えに行った。

お前らにとっては、どっちが幸せなんかって、迷ったんやで。
目が悪うて、体の弱い私が、貧乏しながら、女手一つでお前らを育てるのがええのか、血は繋がってなくても、ちゃんと両親が揃ってて、経済力もある人に育てられる方がええのか。
どっちが良かったんか、それは今でも、私にはわからん。
いつか、お前が、答えを出したらええ事や。
ただ私は、どうせやったら、お前らと、「仕合せ」になりたいと思うた。

ちゃんと、離婚でけへんのも、同じ理由かもしれへんなあ。」

母の言葉を、母の半分も苦労をしていないとまとが、本当に理解できているかと言うと、自信がありません。
でも、最近ふと、思いました。

一度もお会いした事がないのに、らもちゃんの為に、とプレゼントを下さる方がいます。
物を下さるばかりでなく、コメントで、メールで、ブログ記事で…言葉を綴って、とまと達を、喜ばせようとしてくださる方がいます。
これは、とても幸せなことです。

「何か」を頂いたことが嬉しいんじゃない。
とまと達を、喜ばそうと思って下さった、その気持ちが、嬉しいんです。

そして、そうして下さった方に、お礼を差し上げたいと考える、とまとがいます
お金で買ったものではなく、心を込めた物を、お贈りしたいと考える、とまとがいます。
「ありがとう、ありがとう。とまと達を喜ばせようと思ってくれてありがとう」
そう思いながら、編み物をする。
手がつろうが、肩が凝ろうが、それは、とても幸せな時間です。

幸せは、「仕合せ」。
お互いに「仕え合う」こと。
「仕える」とは、見返りを求めないで、奉仕すること。
して貰うばかりでなく、して差し上げるだけでもなく。
お互いに、相手に喜んで貰おうと「仕合う」こと。
喜ばせよう、と思ってくださる方がいて、喜ばせたい、と思える人がいて、人は初めて「仕合せ」を築けるようです。

母の日に、とまとを産んでくれた母と、そして、とまとが母になれる事に、感謝して…

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最後までお読み下さり、ありがとうございますm(__)m

鏡の国のらもちゃん

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「らもちゃんは、産まれる前から、親孝行な子やなあ」
臨月に突入したある日、とまとはつくづく、そう思いました。
小さなトラブルはいくつかあったけれども、全体的には、とても楽な妊婦ライフだったように思います。
つわりもそんなに辛くなかったし、インフルエンザにもかからなかったし、怪我もなく、大きなアクシデントもなく…
ほぼ、百点満点に近いような順調ぶりで、過ごせたのではないかと…

「産まれてからも、ずっと親孝行な子でおってくれたら、ええなぁ~」
お腹を撫でながら、とまとは言いました。
「それは、親次第やろう」
と、ブロッコリーさん。
とまとは、チラリとブロッコリーさんの顔を見て、
「なら、何も心配ないね~♪」
と、言いました。
苦笑いする、ブロッコリーさん。
「そ、そうやと、ええなぁ(滝汗」
「だって、子供は親の鏡やもん。」
「そう、言うなあ」
「子供は、親の言う通りにするんやない。親のする通りに、するようになるんやと、とまとは思うねん」
「うん」
「なら、あなたは、お母様を大切にする人やから、その姿を見て育ったら、らもちゃんも、将来きっと、親を大事にする子になると思うわ」
「そう、やとええなぁ」
「あなたが、お母様を大切にするのは、きっと、あなたのご両親が、そのご両親、つまり、あなたのお爺さまお婆さまを大切にするのを、見て育ったからやと思うねん。」
「……かもしれん」
「だから、らもちゃんが産まれてからも今まで通り、お母様を大切にして差し上げて。そして、その姿を、いっぱいらもちゃんに見せてやって。」
「う、うん(@_@;)」

子供は、親の鏡。
親の言う通りにするのではなくて、親のする通りにする、ようになるのではないか、と思います。
良い事も、良くないことも…(^^;

例えば、何か問題に直面した時、こう考えた事はないでしょうか?
「母(父)ならこんな時、どうした(する)やろう?」
と。

どこかの誰かが言った立派な言葉よりも、本で読んだ名文よりも。
人間、いざとゆう時頼りにするのは、自分の親の言ったこと、やったことではないでしょうか。(逆もまた真なりと言いますが…)
少なくとも、近年のとまとは、そう考える事が多くなったような気がします。
生前は、決して仲が良いとは、言えない母子だったのに…(^^;

考えてみれば、あんなに、ケンカばかりしていた母のことを、ブログに書いて、皆さまから支持されるとゆうのも、不思議な気がします。
なんで????
と、理由を探して見れば、やはり、母に行きつきました。
とまとは母から、一度も、祖父母の悪口を聞いた覚えがないのです。(←覚えていない、だけかもしれない(@_@;)
親子だったのですから、気に入らない所もあっただろうし、ケンカもしたと思います。
だけど、母がとまとに聞かせてくれたおじいちゃんおばあちゃんの話の中に、そうゆう話しはありませんでした。
戦中戦後の物のない時代、6人の子どもを食べさせる為に、どんなに頑張ってくれたか…とか、とまとが物心つく前、2歳か3歳の頃に祖父母は亡くなってしまったのですが、その亡くなる直前まで、どんなにとまとを可愛がってくれたかとか…
母が聞かせてくれた祖父母の話しは、いいことばかりです。
母が、祖父母の悪いところを言わなかったのだから、とまとも、母の悪い面は他人様に言わないでおこう。
いつ、何がきっかけで、そう思うようになったのか思い出せませんが、自然に、母のしていた事をマネしている、自分に気付きました。
そして、そんな自分を見て、改めて思ったのです。
母のマネをするとまとは、母の鏡。
母の言った通りではなく、母のしていた通りにするようになったのではないかと。
良い所も、悪いところも……

「だからね」
と、とまとはブロッコリーさんに言いました。
「もしもあなたが、とまとの事を大切に思ってくれるなら、まずはあなたのお母様を、大切にして差し上げて。それが、とまとを大切にしてくれる事になるから……」
ブロッコリーさんは、ゆっくり頷いてくれました。

同じことが、とまとにも言えます。
とまとも、ちゃんとらもちゃんの前で、ブロッコリーさんを大切にしている姿を見せなくては!
そうすればらもちゃんも、お父さんのことが大好きな子に、育ってくれる、はず…。

子どもは、親の鏡。
「ああしろ」「こうしろ」と親が言った通りにする、のではなく、親のしていた通りにするようになる。
のでは、ないかと思います。

この「鏡の国」は、ちょっとおっかないですね(^^;

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なお、いつ入院するかが不明ですので、コメントの承認制を外しました。
その結果、不適切な内容のコメントが、公開されてしまう、かもしれません。(例 アダルトサイトへのお誘いコメントとか…)
コメント投稿者のサイトへの訪問は、自己責任でご判断ください。
とまとが不適切と判断したコメントは、気付き次第、削除させて頂きます。
(「コメントを入れる前に・・・」「ネチケットについて」参照)
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